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映画「クローンは故郷をめざす」 [VISUAL&ARTS…観る。]

2008「クローンは故郷をめざす」製作委員会
監督・脚本:中嶋 莞爾 エグゼクティブ・プロデューサー:ヴィム・ヴェンダース 主演:及川 光博


漆黒の宙で船外活動をするクルー。宙から見える見える美しい地球。
近いうちに確実に訪れるであろう未来、これは紛れもないSFである。
冒頭の研究施設の無機質な映像。
淡々と告げられる優秀な人材の死と人知れず開発されてきたクローン技術。
常に死と隣り合わせにある危険な仕事に就く怜悧な面差しの主人公・耕平。
緊張感のある映像はそのまま耕平の緊張感と使命感を伝えてくる。
その耕平の心の均衡は、自らが原因となった双子の弟の死と言う辛い過去を乗り越えることで保たれてきた。
自責の念を「弟の分も生きて」と言う母の言葉に救われた子ども時代。
そして心に誓う。「僕は死ぬわけにはいかない」。

死ぬわけにいかなかった彼は、クローン再生に同意した。
新技術の確立に焦る科学者たちの周到な策による「不慮の」事故後、思惑通りクローンとして復活した彼は、しかし耕平そのものでありながら「耕平」になり得なかった。
生前記録されたすべての記憶…それは乗り越えていたはずの、すなわち抑制していた辛い記憶を最も強く再生することになってしまった。
そしてクローンは故郷をめざす。

母が帰りたがっていた故郷の家。
「故郷」はまさしく日本的なウェットな風景だ。
風にそよぐススキの原。川のせせらぎ。
最新の技術を誇る無機質な研究所と打ち捨てられる廃屋と。その対比により「人の帰って行く場所」としての「故郷」の景色へさらに強い印象を与える。
帰ってこない優しい母と気弱な弟と過ごした日々。

双子の弟、死んだ自分。そしてクローン。記憶の混乱。
双子と言うモチーフは、クローンと言う複製された「自己」を映す鏡、否、もう一人の「自己」の表出である。自分とは違う自分、しかしその中に自己との同一性を見つけてしまう存在。
「自己」とは何だ。保管されたデータとしての記憶なのか。
その問いかけは、人が人であることを知ってから常に繰り返されてきた問いである。

最初に書いたように、これは紛れもないSFである。
今まで観た「SF」と言われる映像は、どこかよそよそしく描かれてきた気がする。
人間性を否定する技術に対する寓意。これまでの映像作家たちは、強い意志を持った登場人物に困難に立ち向かわせるために、乾いた舞台を用意しゆるぎない意志を乗せる強い演技を求めてきた、と思う。
しかし監督・中嶋莞爾は違う選択をしたのだ。
非倫理的な技術を否定しない。美しい最新映像に乗せた「SF」と言う寓意に、それぞれの人々の「心の揺らぎ」を合わせ、より主題を鮮明にさせる。抑えた演技がそれを見事に表現する。
「生きることって?」「自己とは?」それから「残したい思い」…

姿を消した実は2人目であったクローンに替わり、3人目の彼は、「彼」として完璧に再生された。
そして知る。消えた2人目のことを。
そしてまた、クローンは故郷をめざすのだ。

公式HP http://clone-homeland.com
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