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「南極点のピアピア動画」野尻 抱介 [BOOKS…「魔女の本棚」]


南極点のピアピア動画 (ハヤカワ文庫JA)

南極点のピアピア動画 (ハヤカワ文庫JA)

  • 作者: 野尻 抱介
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2012/02/23
  • メディア: 文庫

初出2008年~2011年及び書き下ろし

――――「夢がある」
そう人が言うとき、その人は「それ」が現実のものでは無い、と言うことを言外に表すものだ。
謂わば「それ」と言う存在に対する「拒絶」あるいは「却下」、すなわち「寝言は寝て言え」。
つまりは言われている側(そう、私自身でもある)がまさしく荒唐無稽な虚言を吐いていると言われているわけだ。そういうことが続くと、そう言われることに無性に腹が立ち、「夢は実現してナンボんのもんじゃい」と息巻いてみたりもするが、所詮は言われるだけの実力しか持ち合わせていない、という悲しい現実があって、やはり「夢」は「夢」なのかも、己と闘うことを止めそうになる。

SFと言うのは、「現在」に潜在する事象・予見される芽生えを想像力によって拡大し成長させて「未来」を予測して表現するジャンルである。ゆえに科学が一部の人々のものであった時代、「夢物語」であり、想像することを苦手とする現実主義者=一般人から敬遠されてきた。
しかしながら現在の技術革新ときたら、既に一般人の手の届かないところで急激な進歩を遂げ、いや、むしろ一般人が最先端のテクノロジーを自在に操っているではないか。ITから程遠いと思われがちなF3層(50歳以上の女性)がスマートフォンを駆使しているのを見るにつけ、むしろPCにしがみ付いている自分のほうが時代遅れだと感じてしまう今日この頃、デジタルネイティブなどは言わずもがなである。

さて、これまた言わずもがなであるが、本書タイトルにある「ピアピア動画」とはすなわち「ニコニコ動画」、カバーで真っ直ぐな眼差しを向ける「小隅レイ」は「初音ミク」の揶揄である。所謂「一般人」がSFに入りやすいように、と言う意図もあるらしいが、確かに「ニコ動」「ミク」は既にオタクの範疇を超えている。そもそもオタク的なものが裾野を広げ、平準化してきている時代なのだ。制限が無いわけではないが、個人がマニアックな事象を手に入れ易く、そして繋がり易くなった「集合知」の時代である。
この設定を見事に生かし、あたかも現在のシステムで実現されていくかの如く物語が紡がれていく。読み進めていくと、なんだかホントに出来ちゃいそうな気がしてくるのだ。そう、あの「はやぶさ帰還」の物語のように。
しかし、ふと我に返ると実に夢物語なのである。もしかすると出来ちゃいそうな物語に続くオーバーテクノロジーをすっかり受け入れてしまっている自分が居て、失笑してしまった。もちろん心地よいほうの、である。

「夢」は眠っている間に脳の記憶領域が見せるものだ。そう考えると、如何に荒唐無稽であろうと、現実に起こったこと(もちろんそれが真に現実である必要は無い)を組み替えているに過ぎないのだから、すべてが現実の延長線上にある。「夢物語」が「夢」で終わるのか、「現実」になるのか、それは現代を生きる人々の営みの上にあるものなのだ。だから、SFは止められない。(そして、夢をみることも。)
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「何もかも憂鬱な夜に」中村 文則 [BOOKS…「魔女の本棚」]


何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫 な 54-1)

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫 な 54-1)

  • 作者: 中村 文則
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2012/02/17
  • メディア: 文庫

初出:2009年3月集英社刊

歯医者の予約までに1時間あったので、銀行に行って、それからよせばいいのに本屋に入った。気になっていた単行本と、言葉関連の本2冊、そして文庫の新刊。単行本をガンガン買うわけにいかないので、やはり文庫は貴重だ。
そして平積みになっていた新刊のなかに、この作品があった。

ちょっと安易なタイトルじゃないか?
帯に巻末の解説を書いた若手芸人の顔写真と名前。あぁ、ウチの末っ子が好きだったな。
作者は芥川賞作家、芥川賞と言うと観念的な作品が多いけれど、若者向けで読みやすいなら、日々己の怠惰との確執で悩んでいる末っ子に読ませようか。とりあえず先に読んでおこう。
しかしこの〈軽さ〉は、あっさりと覆される。

物心ついて成長期に至り、人は、余程幸せな境遇でなければ、「本来自分は何者なのか」と思い悩むことだろう。
何かのおりに繰り返し思い起こされる原体験あるいは原風景。記憶の混乱。
自分の心の中にある埋まらない空虚。
施設出身で刑務官をしている「僕」の内にある何物かを受刑者たちは敏感に感じ取る。
同じ種類の人間だ、と。
友の自殺、受刑者・死刑囚との関わり、まとわりつく死のイメージ。
死刑制度については思うところ大ではあるが、この際是非は置いておこう。
われわれはすべからく「命」を持っている。
また、命あるものには必ず「死」が訪れる。

まだ大人になりきれていない「僕」が、虚無感に日々苛まれても踏みとどまれる力。それを与えたのは施設長の包容力だろうか。かつて「救われた」ことのある人は、誰かを「救う」ことを望む。為すすべもなく救えなかった過去が、それを後押しする。「僕」は「彼」に言う。

『命は使うもんなんだ』

その「命」は何ができるか。
この世に生を受ける、と言うこと。
何故生まれてきたんだろう、そんなことを考える前に。
目の前が、開けた気がした。
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「夢のすべて」大石 直紀 [BOOKS…「魔女の本棚」]


夢のすべて      (角川文庫)

夢のすべて     (角川文庫)

  • 作者: 大石 直紀
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2011/02/25
  • メディア: 文庫


初出:2006年5月「オブリビオン~忘却」(角川書店)を改題


忙しさにかまけてボーっとしていたその日、出掛ける電車の中で読もう、と買い置いていた1冊の文庫本を手に取った。
ブツ切りでも読めるように、と評論書のつもりで持ち出していたので、すっかり勘違いしたまま、地下鉄に乗り込むとすぐにページを開いて読み始めた…
これが小説、そしてミステリーと気付いた時には既に夢中で読み進めていた。
帰宅後そのまま2時過ぎまで一気に400ページを読了。

最初はタイトルに惹かれて買ったのだ。
「夢のすべて」。
夢に関わる幻想、あるいは幻視的な話、脳科学系。
ところがまったく「夢」の話ではない。
いや、「夢」を「記憶」と置き換えれば良いのか。
「夢でも視ていたように過ぎて行った日々」と言えば良いのか。

6歳までの記憶の無い少女。
兄はそれを前世だと思えばよい、と言う。
しかし彼女は知ってしまった、本当の両親の存在を。
物語は彼女と、そして犯罪者として逃げ続ける父親を、2つの軸として進む。

福祉系の仕事をしていたときに、人の人生を「生活史」として略歴を綴っていたことがある。
どんな家庭に生まれ育ち、どんな教育を受け、どうやって自活するようになったか。
どんな成り行きで結婚・同禽・離別し、どのように病を得たか、等々。
なるようにしてなった者もいれば思いもかけずといった者もいる。
自堕落な者ばかりでもなく勤勉にも関わらず、ということもある。
しかしいずれにせよ、人ひとりの人生はLike a rolling stoneなのだ。

まさに転がる石の如く流転する父・信彦と娘・梓を結んだものは楽器・バンドネオン。
独特の音色を持つ、アコーディオンに似た南米の楽器である。
物語は流転する信彦を追うようにスピードを上げて転がっていく。
まるで「血」のように身体に流れる「音楽」によって悲劇は起こりまた終息する。
それはまた、癒しとなり、読後を救いのあるものとしている。

梓の中に流れる血。それもまた「記憶」と言えるだろう。
育った環境の中に連綿とある家族(一族や血族)の記憶。
そして転がるように生きてきた人生。
まるでそれは夢を視ていたかのような。

そう気付いて、改題の意図を知る。やられた。
これは読み捨てとなりがちなミステリーの中で、「何度も読みたくなる」一冊となった。
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1/15 rice "PREMIUM LIVE 2011「演リ初メ」" @ shibuya O-WEST [MUSIC…聴く。]

鋭いギター音による幕開け。
力強いリズムに重なる、それはとてもとても温かい歌声だ。

恒例11/1以来のワンマンライブ。
今年で10年目、スタートが早くまだ若いがキャリアは充分、気合も充分。
とにかくライブを演れるのが嬉しい、歌えることが嬉しいというYUKI。
はち切れんばかりに充実しているのだろう、それはパフォーマンスにも現れる。
盟友HIROの揺るぎないドラムと気心知れた演奏隊との信頼関係も。
ただ「のびやか」と言うだけではない。
全ての「歓び」がそこにある。
楽曲は、激しいロックはもちろんだが、バラードが多い。
歌いたい気持ちを表現すると必然的にそうなるのだろう。
温かい声、ロックの爆音をも包み込む、優しく柔らかく、そして想いの強さそのままの。
まさに「歌う」とは声の持つ「力」の発現。
これまで聴いてきた彼の歌声の、最高地点と言ってもいいくらい、それは美しかった。
(非難を怖れずに言うならば、まさに「死亡フラグ」が立つくらいに。)

彼らはかつて「癒しの天使」の名のもとで生きていた。
Raphaelと言う名の。
昨年リーダー華月の命日にあたり、YUKIは沈黙していた10年を言葉に換えた。
そしてこの日、新しい年の始まりに、なにかふっきれたような、爆発するような、(あぁ悔しいくらい言葉が足りない、)ともかく前向きな力でもって進み出したのだ。
最後に「間に合った」ということで新譜の発表があった。
新譜と言っても以前から演奏している曲・「凛」。今なら自信を持って出せる、と言う。
PVも流された。揃いの衣装は制服風。
あれ。どこか懐かしいような。…「卒業」(Raphael)?
3月16日発売だし。
10年の時を経て、まさに次の一歩を踏み出すための「卒業」なのかもしれない。
悩んで悩んで進んできた道、もう迷わずに突き進もう、そんなメッセージと受け止めよう。
それは受け手にとっても、大きな力となるはず。
「夢より素敵な」ライブをありがとう。
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「生命をつなぐ進化の不思議」内田 亮子 [BOOKS…「魔女の本棚」]


生命(いのち)をつなぐ進化のふしぎ―生物人類学への招待 (ちくま新書)

生命(いのち)をつなぐ進化のふしぎ―生物人類学への招待 (ちくま新書)

  • 作者: 内田 亮子
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2008/10
  • メディア: 新書


就職したばかりの頃、ひとりの先輩女性がこう言った。
「人はね、生きてる間に3つのうちのどれかを残せば良いんだって。
 それは、『もの(作品)』『金(資産)』そして『こども』。
 私はね、子どもを産んだのでもういいの。」
80年代初め、まだ事務職では育児休暇の取れなかった時代。当時でも共働きの当たり前の職場だったが、若干遠距離通勤でもあった彼女は、夫の実家住まいで、家族からも「お嫁さん」であることを望まれていたこともあり(だからこそ「自分」でいるために仕事を辞めなかったのではあったが)、3人目の子を出産してしばらくしてから退職していった。
「あなたは何を残すのかな。」

人間は、動物である。生命(いのち)をもつもの、生物の中の「ヒト」と言う種である。
生命とは、何か。
遺伝子により継続していくもの、少しずつ少しずつ、周りの環境に適応しながら、また、周りの環境を変えながら、本能として「種の保存」を知り、連綿とつながっていくひとつの生命。
個体には長くも短くも寿命があり、生まれては死んでいく。
しかし「生命」と大きなくくりをしてみると、種・それ自体がひとつの生命とも考えられる。
アメーバのような原生生物が細胞分裂を繰り返しながら大きくなっていくように。

生命はその維持のために様々な行動を起こす。
食べる。共同生活をする。繁殖する。
種ごとの方法はともかく、次世代を産み育て、個体としては老いそして死ぬ。
人は、いや、ヒトは確かに高度な知能を持っているが、結局は他の生物と変わることはない。

本書はまず、生物の種としての行動をひとつひとつ積み上げてひも解いていく。
昆虫も鳥も小動物も猿も人も、食べることで個体の生命維持をし、その栄養状態によって繁殖をする。
効率を求めて社会を形成する。楽になった分退化する。それがまた必要性を生み社会が進化する。(ヒトが他の生物と違うとすれば「経済」が異常に「進化」したと言うところかも知れない。)
大型類人猿の調査で、個体の栄養状態により子どもを産む数が増えたり減ったりする、と言うのは面白い、と思った。なるほどヒトの産む子どもの数は減るわけだ。母体だけでなく精子生成の増減も変わる。
個々の生命の生き方=ライフサイクルを辿りながら記述は進んでいく。
そして老化。(これは自分の年齢的にも一番の関心事かもしれない。)
そもそも野生動物では老衰よりも事故(捕食)・病気・気候変動で死ぬのが殆どだそうだ。
ヒトに限らずだが、長い命を得てしまったが故に「老化」がある。
類人猿のデータを中心に各種研究成果を元に語られてはいるが、実にここまで人間社会に寄りそって章立てが進められている。生物学の本なのに社会学の本を読んでいる気にさせられるのだ。

最終章、いよいよ「死」が語られる。
死は「個体」としての生命の終わりである。
しかし生命は社会を作り次世代につながって行く。
ここでやっと、「ヒト」が「人間」であるための生き方が示されるのだ。
すなわち「知」。他の生物にも「知」の蓄積はあるが、ヒトは大きな大脳を得たことで「知」の方面で大きな進化を遂げた。しかしそれにより自然界としては大きく環境を変えてしまっている。
蓄積された「知」がクライシスを起こそうとしているように言う人は多いが、回避できるのもまた「知」。
「生き方」そのものに「知」を働かせ、それを次世代に伝えていく。
それこそが「ヒト」と言う種を生き残らせるための手段なのだろう。

本の帯に「ライフヒストリーという物語」と書かれていた。
「人間」と言う社会的生物が、ひとつの生命としての物語を綴っていく。
堅いようで柔らかい頭脳を持つこの碩学のひとりの生物学者が同い年の女性であることに、誇りと、ちょっと嫉妬を感じてしまった。あなたは既に素晴らしい「知」を確実に残していますよ、と。
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CD「TWIN GATE」 exist†trace [MUSIC…聴く。]

NO MUSIC NO LIFE というほどでもないが、音楽は生きて行くための糧の一つにはなっている。
しかしここ何年も、TVやラジオもほとんど点けず、積極的に情報を仕入れていないせいで、ついなんとなく、いつも同じアーティストの曲ばかり聴いていることが多い。
加齢のせいもあるのかもしれないが、流れてくる新しい曲に興味を持てなかったり。
2世代ほど上のひとなら「今の若い人の聴く音楽はねぇ」と言うところだろうか。
でも、そうじゃない、世代の話ではない。
自分にとっての「聴きたい音」っていうのがあって、それが単に今の主流じゃないってことなのだ。
で、好きなアーティストが出す新譜はある程度追いかけているのだが、たまに新しい刺激が欲しくなる。
そんなときの心強い味方はショップサイトの「同じ傾向のアーティスト」やジャンル別紹介コーナーだ。

そんなわけで今回手を出したのが、この「exist†trace」と言うバンドである。
 公式サイト→http://www.exist-trace.com/(音出ます注意)
         http://www.myspace.com/existxtrace

ビジュアル系と言って良いのだろう。ハードな音とメロディアスな楽曲。
そして、5人のメンバー全員が女性。
ここでジェンダー論を持ち出す気はさらさらないが、所謂「ガールズバンド」ではない骨太なしっかりした音に、若干の気負いは感じられるものの確かに女性であるVo.ジョウの声。ビジュアル的には中性的いやむしろ男性的かもしれない。歌声はベタつかず、それでいて適度な湿度もあり、感情過多ではないが緩急あり、そして何よりもグルーブ感が心地よい。Vo.だけでない、バンド全体のグルーブ感、疾走感が小気味よいのだ。

演じる楽曲そのものに決して目新しさはない。
1曲目などは気負いが感じられすぎて、ちょっとイマイチかな、と思ってしまった。
しかし2曲目、3曲目と進むうち、過去から累積している自分の好きな「こういう音(ジャンル)」、と言うものを忠実に再現している、そんな感じで、聴いているのが心地くなってくるのである。

それは現代のV系ロックやHMと言うよりも、むしろ私の一番大好きな'70s後半のロックに近いのかもしれない。これまで聴いて来た音楽の中での個人的ベスト1は、もっともアーティスティックな影響を受けるティーンエイジに出逢ったBostonの"More Than a Feeling"なのだが、流石にそこまでは遡らないにしろ(古いロックの「もったり感」はない)、'90sのヴィジュアル系創生期~全盛期のうちの、どこか懐かしい曲調と、ロック色の強い部分を引き継いでいる正統派という印象だ。

人間、どうしたって自分の若いときの影響が一番強い。
加齢により変わるっていうのもあるだろうが、やはり好きな「音」は好きなのだ。
今現在街で流れる「音」が嫌いなわけではないが、探せばまだまだ同じ志向で音づくりをしている若い人もいる、それが嬉しく、それでまた、ときどき思い出したように「新人探し」をしてしまうのである。


TWIN GATE

TWIN GATE

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Monster's inc.
  • 発売日: 2010/11/03
  • メディア: CD


(↑なぜか上記アマゾンのアーティスト名が表示されてませんが、「exist†trace」の真ん中が記号だからでしょうか。ちなみに短剣符(ダガー)です。)
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La'cryma Christi ”Resurrection”@ZeppTokyo & C.C.Lemon HALL [MUSIC…聴く。]

昨年秋口、突如発表された再結成。
10月に実施の大イベント「V-ROCK FESTIVAL」で、当初発表の出演バンドではなかったが、追加で出演が決まったとの報であった。
行きたいのはやまやまだが、イベントは体力的に厳しいので、まぁお祭り的な花火みたいなもんだろうと勝手に解釈してスルーしたものの、ついつい気になりグズグズmixiのコミュとか見ていたところ、1月にツアー!とあって。
計5回(うち東京4大阪1)、ネットで抽選とか、懐具合もあって躊躇していたら第1次終了、落ちた人もいるとかで慌てて第2次に東京分全日申し込んだら全部当たってしまった(最終的には余裕があった模様)。身内でもファンがおり、流石に複数枚は無理なので1日分だけ譲り(連続だと身体がしんどいってのが本音)、まさに指折り数えつつ年明けを迎えた。

1/12、ZeppTokyo。3年前のあの日、この日がこんなに早く来ようとは思ってもいなかった。その同じ会場で、再び彼らに逢おうとは。もちろんあちこちのバンドで再結成なんていう話もあるし、可能性がないとは思っていなかったのであるが、とにかくサプライズであったし嬉しいことに間違いない。
メンバーのTAKAとHIROのユニットLibraianのライブもこのところ小さいイベントばかりで行けてなかったので、実に久しぶり。いつものように上手の前方に入る。
期待にたがわず、初っ端から飛ばす貫禄のステージが始まる。
選曲はあくまでも5人であった頃のもの。それも「10年前」にこだわる。つまりメンバーの方向性の相違とかの表出する前、ハードロック色の強くなる以前。もっとも動員の多かったコアな頃と言ってよいだろう。(個人的には「全盛期」と言う言葉は違和感があるので避けたい。)それ以降の好きな曲も多いのだがこれは至し方ない。
何度となく演奏されてきた楽曲。聴く方も何度となく聴いているので身体が覚えている。自然と出るアクション。ただし5人のメンバーによる演奏をみるのは5年ぶりで、あらためてWギターの生演奏を味わう。
1週間置いて1/18・19。疲れたなんて言っていられない。
ツアーグッズの日替わり色違いタオルは開演前に早くも売り切れ。
ステージに近い方なので、あまり見えないし結構押し合ってグチャグチャでもある。
しかしこの「参加している」「参戦」感がたまらず、もう一緒くたに楽しめる。
まさしく「ここにいるみんながラクリマ・クリスティです」な一体感。
既にファイナル2daysが発表されていたため、「これが最後」の悲想観もなく、ただ嬉しい。

初日終演後ファイナル2daysのチケット購入。
暮れに公式HPで先行発売していたため、あまり良い席ではないなりに2/13は1階の半分より少し後ろ、2/14は2階袖の前の方を取る。
最後がホールということで、このところずっと大きめでもライブハウスだったので遠いし…と半ば醒めていたのだが大間違いであった。ライブハウスで前に詰まってしまうと思ったように動けないのが、余裕のあるイス席では思い切り手を振り上げられるのに気づいたときには足腰がふらついていた。特に肩・腕の疲労が激しい。
ビジュアル系ライブでよく見られる手扇、どんな動き方をするかでファンだった年代がわかる。古いファンは、それこそ曲ごとに歌詞に合わせた振りを見せる。最終日は2階だったこともあり、その辺りがよく見てとれた。
私は見よう見まねで覚えたのがかなり後期だったし、ほとんどホールでやらなくなった頃で、それも前方で、優雅な手扇なんてやってられないし誰かがやっていても見えない。だからちょっと羨ましい。10年前の手扇が今だに自然と出てくる、つくづく愛されていたのだなと思う。
以前も書いたが、ラクリマのファンは本当に温かい。というかギスギスした尖がった感がない。
いや、尖がってない=ぬるいとかでなく、刺々しさがないのだ。だから心地よい。
思い切り身体を動かした数時間。いよいよ終演。
アンコールが止まない。

この「Resurrection」ツアーを通して、終演直後に「With-you」のカラオケが流されていた。
当然のように最も広く愛されたこの曲が流れると大合唱になる。
最終日はこの大合唱の後、さらにアンコールの大喝采。
メンバーもこれに応えて最後のご挨拶。
しかしみんな表情が明るい。今後もまた集まる可能性が示されているから。

また、逢いましょう。
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CD「ドナドナ」Plastic Tree [MUSIC…聴く。]

UPCH-1761(通常版)UPCH-9535(限定版+DVD)
ユニバーサル・ミュージック 2009.12.23

90年代にたくさん生まれた「ヴィジュアル系」ロックバンドで、今どれだけのバンドが同じ名前で活動しているだろう。
大きければ「名前」に潰されたり「ヴィジュアル系」であることを嫌ったり、また小さければ安易にメンバーごとシャッフルされた違うバンドとなったり。若さで突っ走れなくなれば食えずに消えていくしかない、と言うのは何もヴィジュアル系に限ったことではないが。
入れ替わりの多い音楽シーンだか、多くのバンドがその「ヴィジュアル系」の括りを抜け出て行ったあとに、未だ「そこ」にいるバンド、プラスティック・トゥリー。しかしその音楽は唯一無二なものであるだけでなく純粋にロックであるにも関わらず、これはやはりある種「ヴィジュアル系」としか言えない何かがある。かつては確かに「白塗り」やコスプレ的な部分もあったが、既に「見た目」の問題ではない。その「世界観」への拘りが、そう思わせるのだろう。
95年にインディーズデビュー。97年メジャーデビュー。
以来コンスタントにシングル、アルバムを発表し、ライブをこなしてきた。
そのライブでは今でもインディーズ時代の楽曲が違和感なく演奏される。
変わらぬ世界観。
昨年ドラムスが交替。それぞれ個性的なドラムスなのでやはりそれぞれの音の違いがある。
それでも揺るぎない「プラトゥリ」の世界。
今回のこのアルバムは新ドラムス加入のお披露目的なアルバムとなった。
夏の武道館ライブ「テント」のコンセプトからみても、世界観としては「原点回帰的」なものが見受けられるが、そのイメージに寄りそう、ギターとベースとヴォーカルの持つ「狂気」とメランコリックさを裏打ちする音となっている。
もちろん、その不変である世界観を構成する第一の要素はヴォーカル有村竜太朗の詩人・中原中也を彷彿とさせる歌詞によるものであるのは間違いない。

アルバムタイトルは「ドナドナ」。誰もがあの「可哀想な仔牛売られてゆくよ」と言う楽曲を想うだろう。
哀しみの裏にある心に引っかかる憂鬱(メランコリー)。為すすべもなく見え隠れする残酷さ。
そのイメージをまさに本歌取りしたような全9曲である。

 1999年 世界はちょっと終わりっぽかったけど なんにもなくお伽噺な嘘は消えた
 1999年 素晴らしい未来なんてないって なんにもない自分が嫌で信じてただけ  (1999年)

 最終形の感情論で君に伝えたい事があります。
 僕らはみんな誰かよりもちょっとだけ幸せになりたいの。  (梟)

甘い曲調に乗せた詩は独自のアレンジの相乗効果で、ときにギョッとするほど斬り込んでくる。
癒し系とも言われるのは決して「優しい」から癒しなのではない。
むしろ自傷行為のような痛みを持ち、その痛みで意識を朦朧とさせたり目覚めさせたりする。
それはメロディアスな曲だけでなくインダストリアルな曲についてもまったく変わらない。
気がつけば何度もループして聴いている。
心地よい「痛み」から抜けられない。

ヴォーカル有村竜太朗を未だに「可愛い」と表現する女性は数多い。
幼児性。
それはイノセントであると同時に鋭い刃。
内省的。自虐的。演劇的。道化。近頃の原点回帰(と言っても元よりそう大きく変わらないのが彼らの唯一無二たる所以だが)。
そんなイノセントが不安を増幅するようなアレンジに乗せて切々と歌われる。

 ゆれながら ゆれながら どこへいこう   (ドナドナ)


ドナドナ(初回限定盤)(DVD付)

ドナドナ(初回限定盤)(DVD付)

  • アーティスト: Plastic Tree
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルJ
  • 発売日: 2009/12/23
  • メディア: CD



ドナドナ

ドナドナ

  • アーティスト: Plastic Tree
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルJ
  • 発売日: 2009/12/23
  • メディア: CD


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映画「おと・な・り」 [VISUAL&ARTS…観る。]

2009 ジェイ・ストーム
監督:熊澤 尚人  脚本:まなべ ゆきこ  主演:岡田 准一


「近隣騒音」という言葉がある。
街中に住んでいれば否応なく付いてくる。
機械音やら自動車の走行音、繁華街の嬌声。
それは聴力を持つ以上、「音」として受け入れざるを得ない。
また、「音」と言うのは完全に耳を塞がない限り聞こえてしまうやっかいなものだ。
街中の音は酷ければ訴えることもできるし引っ越すこともできる。
しかし「近隣」と言っても、まさに隣近所の一般的な生活音となると、そうもいかない。
お互い様、ということもあり、気になっても、余程じゃなければ耐えるしかない。

さて、とはいえ、ご近所の音がすべて騒音というばかりではない。
慣れ、というのは恐ろしいものだが、あながち慣ればかりでなく、「何の音か」を理解すると聞こえても気にならなくなってくるのだ。もちろん慣れずにイライラの種のままの音がなくなることはないが。

昨今隣人と逢うことは滅多にない生活をしている。管理のしっかりしているマンション住まいということもあって、最低限の近所付き合いといっても敷地内で会ったときに挨拶を交わすくらいで、一歩外へ出たらすぐ隣に住む人でさえ、まったくの他人である。
顔も覚えていない人であるにも関わらず、その他人である隣人の生活音が騒音でもないのに気になるのは、その話声も含む「音」がまったくの無防備さから出されているから、と言ってもよいだろう。
普段は気にして大きな音をだすことは控えていても、ふとした日常会話まで緊張していたら身が持たない。挨拶を交わしているだけでは見えることのない飾らない隣人の生活が垣間見える、そんなナマな音の世界。幸い我が家の隣人は若いファミリーなのだが、その「音世界」に於いては、とても穏やかで微笑ましい。これについては、その巡り合わせに感謝するしかない。

目に見えるものがすべてではない、もうひとつの感覚の世界。それが「音」の世界だ。
聞こえ…いや、「聴」こえてくる音が紡ぎだす世界は音楽にも似て。
実際に会う…いや、「逢」うのとは違った出逢いを生みだす。
むしろ「逢わない」からこその世界。

無理に関わる必然性もなく、ただ隣同士、というだけの2人の「音」による繋がりの世界。
男女ということもあり、お互いのプライバシーを気遣うからこそ敢て会わない、というのもあったろう。
実際、「無防備な自分」を知っている人と顔を合わせるというのは気まずいものだ。
「筒抜け」だからこそ気遣いあう、控え目で小さい「音」の積み重ねが、実は互いに相手を思いやるココロを感じさせる音…気になりつつも気に障らない音、受容された音となっていくのだろう。そこにある音には攻撃性もなく、また嫌悪感もない。

物語が進んでいくうちに隣同士の2人の関係性が変わっていく。
「いつもの音」に異質なものが入りこみ、その変化をもたらしたものがなくなったとき、折しも転機を迎えていた2人の人生は、すでに動き出していた。
出逢いの「偶然」に気づかせたのは音であり声。すでに受容されていた音は、人間の得る外部情報の8割を占める視覚情報を飛び越えダイレクトに記憶を喚び起こす。

ラブストーリーでありながら、それに留まらない脚本・演出の力、ささやかな「音」への気遣い・こだわりが、優しい音の世界を紡いでいく良作を生みだしたのだと思う。


公式HP http://www.oto-na-ri.com/
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映画「クローンは故郷をめざす」 [VISUAL&ARTS…観る。]

2008「クローンは故郷をめざす」製作委員会
監督・脚本:中嶋 莞爾 エグゼクティブ・プロデューサー:ヴィム・ヴェンダース 主演:及川 光博


漆黒の宙で船外活動をするクルー。宙から見える見える美しい地球。
近いうちに確実に訪れるであろう未来、これは紛れもないSFである。
冒頭の研究施設の無機質な映像。
淡々と告げられる優秀な人材の死と人知れず開発されてきたクローン技術。
常に死と隣り合わせにある危険な仕事に就く怜悧な面差しの主人公・耕平。
緊張感のある映像はそのまま耕平の緊張感と使命感を伝えてくる。
その耕平の心の均衡は、自らが原因となった双子の弟の死と言う辛い過去を乗り越えることで保たれてきた。
自責の念を「弟の分も生きて」と言う母の言葉に救われた子ども時代。
そして心に誓う。「僕は死ぬわけにはいかない」。

死ぬわけにいかなかった彼は、クローン再生に同意した。
新技術の確立に焦る科学者たちの周到な策による「不慮の」事故後、思惑通りクローンとして復活した彼は、しかし耕平そのものでありながら「耕平」になり得なかった。
生前記録されたすべての記憶…それは乗り越えていたはずの、すなわち抑制していた辛い記憶を最も強く再生することになってしまった。
そしてクローンは故郷をめざす。

母が帰りたがっていた故郷の家。
「故郷」はまさしく日本的なウェットな風景だ。
風にそよぐススキの原。川のせせらぎ。
最新の技術を誇る無機質な研究所と打ち捨てられる廃屋と。その対比により「人の帰って行く場所」としての「故郷」の景色へさらに強い印象を与える。
帰ってこない優しい母と気弱な弟と過ごした日々。

双子の弟、死んだ自分。そしてクローン。記憶の混乱。
双子と言うモチーフは、クローンと言う複製された「自己」を映す鏡、否、もう一人の「自己」の表出である。自分とは違う自分、しかしその中に自己との同一性を見つけてしまう存在。
「自己」とは何だ。保管されたデータとしての記憶なのか。
その問いかけは、人が人であることを知ってから常に繰り返されてきた問いである。

最初に書いたように、これは紛れもないSFである。
今まで観た「SF」と言われる映像は、どこかよそよそしく描かれてきた気がする。
人間性を否定する技術に対する寓意。これまでの映像作家たちは、強い意志を持った登場人物に困難に立ち向かわせるために、乾いた舞台を用意しゆるぎない意志を乗せる強い演技を求めてきた、と思う。
しかし監督・中嶋莞爾は違う選択をしたのだ。
非倫理的な技術を否定しない。美しい最新映像に乗せた「SF」と言う寓意に、それぞれの人々の「心の揺らぎ」を合わせ、より主題を鮮明にさせる。抑えた演技がそれを見事に表現する。
「生きることって?」「自己とは?」それから「残したい思い」…

姿を消した実は2人目であったクローンに替わり、3人目の彼は、「彼」として完璧に再生された。
そして知る。消えた2人目のことを。
そしてまた、クローンは故郷をめざすのだ。

公式HP http://clone-homeland.com
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